家族のこと

4歳から始まる父との暮らし

ひとえ

私の父親は画家である。

私が生まれて割とすぐに勝手に画家になったらしく、昔母になんで画家なんかと結婚したのか聞いたら、「最初はサラリーマンだった」と私は悪くないとでも言いたげな態度だった。

世はバブル、詳しくは知らないが新橋のサラリーマンは今よりもっと豪勢なサラリーマン生活を送っていたのだろう。

何をしてもお金になる時代なのかなんなのか、父はまだ私が生まれたばかりの時に母に内緒で突然勤めていた会社を辞め、「俺、画家になる」と宣言したらしい。

絶対に「看護師の妻」という保険があったからこその選択であり、したたかな策士である。

バブルは人を狂わせるし、まあ父の性格上バブルでなくても遅かれ早かれ会社員はフェードアウトしていただろうとは思っている。

地獄は私が4歳を迎える直前くらいから始まる。

それまで両親は別居をしていたのので、父が怖いとかそういうイメージはなかった。

「パパはたまにいるし、たまにいない」そんな存在だった。

そんなある日、なぜか家族全員が突然一緒に住むことになり、見知らぬ土地の狭いアパートに引っ越した。

今日からパパ毎日いるの?わーいと喜んだ初日のことである。

床に直起きスタイル(多分まだテーブルがなかった)のホットプレート焼き肉をみんなで食べている最中、嬉しくて私は喋りまくっていた。

すると父が突然、「うるせえ!調子に乗ってんじゃねえ!」とものすごい剣幕で怒鳴ったのである。

私はびっくりして泣き、兄は俯き、母もイライラしていた。

そのまま全員黙って黙々と夕飯を食べたことを覚えている。

この日を境に、私の長い暗黒期が始まるのである。

いや、今なら分かる。引越しで疲れているのに、隣で延々と喋り続ける4歳児にはイライラするということは。

だけどあの時、「パパがいる」ということと、よく分からないけどなんか新しいことが始まっているこの瞬間が楽しくて嬉しくて仕方なかったのである。

しかしそんな思いを両親は知る由もなく、突然ものすごい剣幕で怒鳴られるという結果になり、新しい生活はなんとも暗い幕開けとなった。

父親はたまにいる人だったのに、一緒に住んでみたら怖くてでっかいただのおじさんである。

狭いアパートで夜な夜な大の大人が殴り合いが繰り広げられており、今はか弱くて可愛らしいおばさんになった母も、あの頃は血気盛んな30代。

父にぶっ飛ばされても、負けじと平手打ちで応戦していた。

今や弱々しい母からは想像できないほどのハツラツさであった。

飽きることなく平手打ちを交互にこなす二人は、ある種の漫才のようである。

あの優しくてよく笑う割と上品な母が、絶対に負けないと父をぶっ飛ばし返していたのだからすごい。

大人になった今、まあ男女間でそういうことになるのも分からないでもないが、当時の私と兄はただ怖いだけである。

その間見ていたテレビは乱暴に消され、喧嘩が終わるまで私と兄は暗ーい顔をしながらソファの上でじっとしていた。

あの頃は、夜中起きたら母親がいなくて朝起きたら隣で寝ていてホッとするとか、父が壁に穴を空ける音で目が覚めるとか、夜中トイレに起きると酒を飲みすぎた父が血を吐いてその辺の床に寝ていたりしていた。

とにかく今までの生活とあまりに変わってしまって、もう毎日が恐怖である。

割と喋っていたはずの兄はどんどん無口になり、私もストレスでチック症が出たりしていた。

なるべく明るく書こうと思っていたのに、事実を書くだけで暗く見える。

なんかないかと今思い出した話を書いてみる。

その日は小学校低学年の私の授業参観で、仕事で行けない母の代わりに父が来ることになっていた。

期待しないで待っていると、アロハシャツとサングラスの異様なおっさんが教室に現れた。

誰のお父さん?ヤクザ?と教室がざわめき、やばいと知らないふりをキメている私に向かって、父は「よ!」と手を振っていた。

たくさんの母親に囲まれたアロハのおっさんは異様な目立ち方だったし、クラスメイトからは散々「お前のお父さんってヤクザかなんか?」と言われた。

これで少しは暗さをカバーできただろうか。

ABOUT ME
ひとえ
動物大好き。独身30代、止まったり走ったりしながら生きてます。
記事URLをコピーしました